私の戦歴病歴(笑)
About me

このページの壁紙はmint blueさんからお借りしました。

HN:三憂 「みゆ」と読みます。本名の一部をとってつけました。
「みっつのゆううつ」なんて字を使っている割には、ノーテンキなヤツです。

出身地:生まれたのは東京都、育ったのは横浜です。

只今の生息地: 東京都内某片田舎(笑)。
           結婚して古巣(?)に戻ってきた出戻り都民です(笑)
           来春お隣の県に転居予定。

家族:結婚24年になるダンナと23歳の息子、20歳の娘と暮らしております。

趣味:花を育てる事(家中を花だらけにしちゃうことが夢???)
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こちらは随時更新します。青字についてはリンクあり。

2004年4月末
連休の直前に右下あごに激痛。
かねてから、リサーチしてあった評判のよいS歯科医院を受診。


院長先生の診察の結果、
@親知らずが腫れて痛い
Aその2本手前の臼歯の根元に病巣があって、それが腫れて痛い。
そのどちらかなのか、それとも両方なのかがわからない。
とりあえずということでより怪しい@の親知らずを抜歯。
痛みの方は、抜歯前に投与された抗生物質でなくなっていました。
この時に、他にも症状は無いものの具合の悪い歯が何本も発見されています。


2004年5月半ば
風邪を引き込む。


この時の風邪は、歯の治療の直後で体調が悪かったのもあってか、完治までに1ヶ月かかりました。
で、予定されていた臼歯の治療は、この影響で自主的に無期延期(苦笑)


2004年11月半ば
勤務先の健康診断で尿蛋白が(+++)
精密検査の指示が出る。


実は結婚前に勤めていた会社での健康診断でも尿蛋白が出たことがあったんです。
もちろん、慌てて病院に飛んでいきましたよ。
結果、みごとに(−)
「こういうこともよくあるんですよ〜」
というDrの一言で速攻無罪放免。
そんなこともあったので、今度もまたそのパターンじゃないのかな?と勝手な思い込みでしばらく放置。


2004年12月始め
かかりつけの医院を受診、再検査。
結果は尿蛋白(+++)、潜血(+++)ただし顕微鏡的血尿。


風邪をひいた娘を連れて行ったついでに私も検査してもらったのですが、「早いうちに大きな病院に行きなさい」といわれちゃいました。
ショック・・・。


2004年12月半ば
自宅近くの大学病院N大H病院泌尿器科を受診。


最初に行ったかかりつけの医院では「腎臓内科」を勧められたらしいんですが(←多分)、気が動転していた私は先生のおっしゃることをちゃんと聞いていなかったんですね。で、間違って(←コレも多分)泌尿器科を受診。
CTを撮ったりしましたが、「なんで泌尿器科に来たの?」と言われた挙句に早々に内科に転科となりました。


2005年1月
同じ病院内の腎臓内科を受診。
その際、
高血圧(上が180mmHg下が120mmHgくらいだったかな)が発見され、ディオバンが処方される。

この時自動血圧測定器なるものを初体験。
ミョーに緊張しちゃって、てっきり数値が高かったのはそのせいだと思いましたが、ならばと診察室でオーソドックスな血圧計で測っても大して変わらない値で・・・。
「診断名が何であっても、この血圧はまずいでしょう」と言う事で降圧剤のディオバンが処方されました。
元々血圧はそんなに高い方ではなかったせいでしょうか、2ヶ月ほど飲んでいたらあっさり下がっちゃって、服用中止となりました。もちろん、現在も血圧は正常値です。ただ、下の血圧はちょっと高めですが、まぁ、問題はなさそうです。


2005年3月
尿蛋白、尿潜血は相変わらず(+++)。一日の尿中蛋白質、1.1g。
IgA腎症の疑いで腎生検を勧められる。


この頃の(初代)主治医のF先生、「おそらくIgA腎症だと思いますが、診断には腎生検が必要です。」と淡々と説明。
腎生検という検査がどういう検査かたまたま知識があったため、怖くって逃げ回っちゃいました。
「そんなに急がなくってもいいけど」と言いつつも、F先生はしっかり外堀を埋めてかかっていて、たとえば、眼底出血があるくらいの高血圧だと腎生検はできないのでと眼底検査をしたり、一日の尿をためて正確な尿中蛋白質量を測定したり・・・。

一方、IgA腎症がどういう病気なのかを医学書などを読み漁っていたのもこの頃で、大体そういう本にはロクな事は書いていなかったので、私は落ち込みの極地でした。

でも、そのうち、考えも変わって腎生検を受けることに・・・

下は当時落ち込んでいた私を励ましてくれた友人宛に送ったメール(抜粋)です。

今日は3週間ぶりに病院に行ってきました。
ようやく、決心がついたんで、まな板送りにしてくれるように(爆)お願いしてきました。
逃げていても先に進めないですからね。
やりたいことがあっても躊躇してしまうのは、もったいないですし。
いろいろ考える事もあるし。

これで吹っ切れていたかと言うと、そうでもなかったというあたりがいかにも私らしいんですが(苦笑)


2005年4月
H病院の本院である、N大I病院に一時的に転院。


普段通っているH病院では腎生検の設備がないため、本院であるN大I病院に一時的に転院することになりました。

が、F先生の紹介状をいただいてI病院に行く途中もまだジタバタ・・・
その時別の友人宛に送ったメールがこれ。

いつもの病院で紹介状をもらって、いざ検査の待つ本院へ…。
行くと決めたのは他ならぬ自分なんだけど、いざとなるとやっぱ足が重い。
ホームで電車を待つ間ふと後ろを見ると売店でお酒を発見。
いっちょ、気合いを入れて…ってウソウソ(笑)ちゃんと買わずに電車に乗りました。
それにしても、やだな〜。
お花見にでも行っちゃおっかなぁ〜。
あ、降りる駅に着いちゃったよ〜

全く往生際が悪いです。

で、後日腎臓の造影などの事前の検査を済ませ、入院予約。
これが、なんと娘の高校の入学式の前日でした。


2005年5月16日
N大I病院腎臓内科病棟に入院。


2005年5月19日
腎生検実施。


F先生の説明では腎生検での入院は5日間。
ところが、入院先でのメイン主治医のS先生によると木曜日が腎生検。
あれ?っていうことは検査の翌日にもう退院???
そう思ってたら、S先生曰く、
「月曜日の朝にいろいろと検査してみて問題なかったらその日に退院です。」
F先生〜、話が違うじゃん・・・(((q(-”-メ

そんなわけで波乱の幕開けとなった入院ですが、病院はとても居心地が良く楽しかったですね。
主婦の夢、「三食昼寝つきな日々」でした(爆)
ただし、検査のオマケつき(ToT)って、本当は検査の方がメインなはずですが(笑)

さて、怖がって散散逃げ回った腎生検でしたが・・・
S先生の説明どおり、麻酔をしているので検査そのものの痛みはなし。
ほんの一瞬、麻酔の注射がチクっとしただけでした。
ただ、組織を採取する時の音と衝撃はすごかったですが、これは直前に音を聞かせてもらったり説明してもらっていたので問題なし。

問題は・・・検査後の24時間絶対安静。
S先生の説明どおり、とっても辛かったです。
病院によってはもっと早い時期から少しずつ動くのが許可になるところもあるようですが、I病院は24時間動いちゃダメ!
足をちょっと動かしている所を看護師さんにみつかって「だめだよ〜」と言われた事もありました。確か3回くらい(笑)

でもね、1時間もしたらもう腰から下が痛いのナンの・・・。
S先生のおっしゃってたとおり、検査そのものよりもこっちの方がつらかったです。

でも、もっとつらかったものがあります。
絶対安静なので食事も看護師さんの介助つきで寝たまま。当然トイレも寝たまま。
なんか赤ちゃんになった気分・・・。
食事はまだいいんですが、トイレはなかなかできずお腹がパンパンになりました。
だって、出ないのに水は飲まなくっちゃならないんですもん。
初めてうまくできた時には、涙が出ました・・・。

20日朝8時過ぎくらいに回診があり、24時間より少し早めに絶対安静が解除になりました。
嬉しくって嬉しくって、即座にまずベッドの上で座ってみて、「いける!」と思って立ち上がったらものの見事に目の前が真っ暗になりました(笑)


2005年5月23日
無事退院。


退院当日の朝の検査の結果軽い貧血はありましたが他には異常もなく無事退院。鉄剤のお土産つきで(笑)。
翌週の30日には検査後初出勤となりました。


2005年6月半ば
再び自宅近くの病院N大H病院にてIgA腎症との診断。

はっきりは言われなかったけど4つに分けたうちの悪い方から2番目(後に、比較的予後不良群であることをしっかりと確認しましたが)らしい。
ただ、80%くらいの確率で寛解には至るだろうとのこと。腎機能も正常範囲内だったし・・・。


2005年6月下旬
プレドニン服用開始。プレドニン30mg/日、他にペルサンチン、etc
エネルギー1600kcal、蛋白質50g、塩分7gの食事制限の指示。



2005年9月
尿蛋白±潜血(-)に


2005年10月
尿蛋白も(-)に・・・

その後、ゆっくりとプレドニンを減量。

プレドニン服用中は月経不順など、モロモロ軽微な副作用には悩まされましたが(お悩みコーナー参照)、反面、@スギ花粉症の症状が初のシーズン出ない(プレドニンの服用量は2mg/日くらいかと・・・)、二回目のシーズンには軽微・・・とかA主婦湿疹が出なくなった などのいいこともありました。


2007年11月末
プレドニンの服用量は0に。
ただし、ペルサンチンLの服用は継続。



2007年12月半ば
風邪をひき通院。


この時も扁桃腺は白く膿栓ができていましたが、発熱はまたしても37.3℃止まりで、大したことはなかったのですが、鼻づまりがひどくスギ花粉症が出た時に処方されていたクラリチンを服用。これに市販の点鼻薬を併用することで何とか凌ぎました。と言っても、用法には3時間以上の間隔をあけて一日6回まで・・・と書かれているのに、効果は2時間しかなく、睡眠もロクにとれずかなり辛かったです。こんな状態が1〜2週間続いたでしょうか・・・。

風邪自体は2週間ほどで治りましたが、結局鼻づまりは治らずクラリチンと市販の点鼻薬併用作戦は今も継続中です。ただし、点鼻薬の効果が風邪さえひいていなければ3〜4時間長い時は5時間、睡眠中は6時間以上継続するようになりましたので、だいぶ楽にはなりました。


2008年5月
前出のS歯科医院に通院開始。


3年前に敵前逃亡しちゃった、歯の治療に挑みました。

実は何を隠そう、私は大の歯医者嫌い。
子供の頃、イヤっていうほど歯医者さんで痛い目に遭わされていまして、そのトラウマは未だに治ってはいません。

1989年、娘を妊娠中に虫歯が痛くなり、その時に上顎左右二本の親知らずを抜歯し、その4〜5年くらい後、左上の小臼歯の詰め物が取れた時を最後に歯医者さんからは遠ざかっていました。

そんな私でも、2004年に左下あごが痛くなった時さすがに歯医者さんに駆け込みましたが、その後、風邪を理由に他の歯の治療は放置・・・。

もし私のIgA腎症が虫歯からきているのだとしたら、バチが当たったとしか言いようがありません。

そして、2005年にはプレドニンの服用が始まるわけですが、どういうわけか、「プレドニンやペルサンチンの服用中は、虫歯の治療はできない」と誤解して(実際には問題なしなんですが)、いろんな本を読んで[虫歯は腎炎に悪影響を与える]という知識がありながら、尚も放置・・・。

ステロイドの服用が終わった時に、当時の主治医のA医師に相談したところ(半年前から左上犬歯が虫歯になっていて、時折軽度ではあるが痛みがあったので)、「プレドニンやペルサンチンを飲んでいても飲んでいても、通常の歯の治療ぐらいは問題ないよ〜」と言われ、歯医者に行くことを決意・・・。ただし、ここでも怖気のムシが騒ぎ、すぐに花粉症の時期になるから、スギ花粉の飛散が収まる5月始めに通院を開始・・・というわけです。


2009年6月7日  
下痢・発熱38.5度。


夕方から吐き気はないものの、、何かを食べると確実に1時間たつかたたないかで腹痛がおきトイレへ直行する状態。
夜、悪寒がし始め、翌日の朝方は発熱がピークに・・・。
寝て起きたら病院に行こうと決めてひと眠りして起きたら解熱に向かい始め、結局受診しませんでした。
9日には平熱に戻り、出勤もしちゃったけど、下痢状態が完全に元に戻るまでには5日くらいかかりました。


2009年6月23日
定期受診。
尿蛋白、尿潜血ともに(+)
M医師より初めてセカンドオピニオンの話が出る。


少し前の下痢&発熱の影響もあると思います。
それに加えて、実はこの日、たまたま予約時間に間に合うギリギリの時刻に家を出たのに、病院についてからなんと診察券入りのお財布を家に忘れたことに気がつき、猛ダッシュで家に取りに戻りました。普段だと20分かけてゆっくりくるのに、この時は30分足らずで往復しています(笑)

そんなこんなで、寛解後初めて蛋白と潜血が+になって、「ここらで専門の先生の意見を聞いてみたら?」と当時の主治医のM先生から言われました。
M先生は腎臓内科の認定医ではありますが、IgA腎症の専門医ではないんですよね・・・。

元々、転院したいと思っていたところだったのですが、「それならば、普段の状態で検査結果を持ってセカンドオピニオンを受けたい」と言って8月末にもう一度検査してその結果を持ってセカンドオピニオンを求めるということになりました。


2009年6月30日
親知らずの抜歯に備えてペルサンチンL休薬を開始。



2009年7月7日
歯科のかかりつけのS歯科医院にて右下の親知らずを抜歯。


今まで3回の親知らず抜歯は抜歯後の疼痛もなく、鎮痛剤は服用せずに済みました。
(上の左は虫歯になったため、右は曲がって生えており頬の内側を傷つけるようになった為、下の左は前述の通りの理由で抜歯。上2本は顔を出しており、それぞれ局所麻酔から5分かからずに簡単に抜歯完了。下の左は埋まってはいたものの、局所麻酔から30分足らずで抜歯完了。)
なので、軽く済むんじゃないのかなという根拠のない安心感で抜歯に挑みました。

が!!、下の右はなんと下顎骨に半分くらい埋まっており、骨を削った為に所要時間は1時間(主治医のS先生は45分と見積もっていらしたようですが・・・)。

当然、右頬はかなり腫れたし、一週間くらいは鎮痛剤を服用していました。
当時の内科の主治医のN大H病院のM先生から、歯科医の処方どおり飲んでもよいとの許可はいただいていましたが、歯科医のS先生の処方どおり(ボルタレン1回2錠。最低でも4時間間隔、できれば6時間以上空けて)に飲んだのは最初の2日だけ。あとは、適当に減量して、3日目には薬剤も変更していただき、最終的にはいつものロキソニン半錠を一日2回までにしていました。この量はN大H病院の初代主治医のF先生から頭痛が起きた時の頓服として許可をいただいていた量です。


2009年7月14日
ペルサンチンL服用再開。
頭痛、動悸、吐き気あり 服用見合わせることにする。


最初は偶然頭痛が起こったのかと思いましたが、様子を見ながら2,3回服用してみると、服用後20〜30分で上記の症状が起こることが確認され、自主的に服用をやめました。

こういうことはプレドニンなどステロイド剤では絶対にやってはいけないことなんですが(リバウンドがおき時には生命に関わりますので)、ペルサンチンは歴代主治医から、抜歯など手術の必要が出てきたら1週間前からやめるようにといわれておりまして、ならば、いきなり中止しても差し支えないものと判断した為です。


2009年7月23日
主治医のM先生の許可?でペルサンチンL服用中止。
O病院に転院を願い出る。


この日は、元々予約はしていなかったんですが、ペルサンチンの服用について相談する為に臨時で受診しました。
ついでだからと行った尿検査では潜血は(-)だったものの、尿蛋白は(+)・・・。
M先生からは、セカンドオピニオンを強く勧められ、どうせならばと転院を願い出ました。

転院はかねてから考えていたことなんですが、ずっと決心をつけかねていまして・・・でもある事情がありまして、ついに決行いたしました。

M先生からは、「H先生は有名な先生だから、すぐには予約は取れないだろうから、まず他の先生に診てもらって、それからH先生に代わりたいといえばよいだろう。」とのアドバイスをいただきました。

2009年7月24日
O病院予約の電話入れ。8/6にH医師の予約が取れる。


M先生からのアドバイスもありましたが、ダメ元でやってみたら、意外にも取れちゃいました。
あまりのことに感激しちゃいましたよ〜♪


2009年8月6日
O病院IgA腎症専門外来受診。
扁桃摘出は薦められるが、パルスは必要なしとのこと。
扁桃摘出の為、耳鼻科外来を予約。


H先生は寛解状態での受診に疑問を持たれたようですが、
@発熱はほとんどないものの、年に2〜3回扁桃腺が膿を持つ。
AN大H病院でも扁桃摘出・パルス療法は可能だが、その際は自己責任でやることになるといわれた。
この2点をお話したら、ご納得いただけました。

この時の検査結果。
尿潜血、尿蛋白両方とも(-)。クレアチニン、0.56。貧血なし。


2009年8月12日
耳鼻科外来受診。
12月に扁桃摘出の予約を取り、鼻炎のためのアレルギー検査も実施。
副鼻腔炎やはなたけなどの他病はなし。


11/5には術前検査予約。
12/1に扁桃摘出手術の予約。

小さい頃にアデノイド摘出の経験ありとお話したら、その時に扁桃腺を摘出していなかったか、確認するようにとの指示がありました。
詳細についてはこちら・・・


2009年8月26日
耳鼻科外来受診。
アレルギー反応は、予想通りにスギ花粉とハウスダストに高数値が・・・


アレルギーは基本的に治らないので、薬を飲むしかないらしい・・・。
またまた不治の病宣言が・・・(苦笑)。

それでも、対応の仕方いかんによっては、症状は軽くできるんじゃないかな?と日々模索を始めました。
スギ花粉症は無理だとしても、ハウスダストに対する反応だけでも何とかなればずいぶん違いますので・・・。


2009年10月13日
N大H病院婦人科受診。


本来ならば予約は翌週の20日でしたが、ひどい過多・過長月経の為貧血が進んでしまい、身の危険を感じて?の受診です。
予想通り、血色素量(ヘモグロビン)は7.6。
即刻鉄剤服用開始です。


2009年11月5日
耳鼻科外来、IgA腎症専門外来受診。


本来ならば、耳鼻科外来では術前検査をするはずでした。
が・・・貧血がひどく12月1日の手術は断念する羽目になりました。
ここらの経緯はこちらこちらに・・・


2009年12月16日
耳鼻科外来受診。

血液検査の結果、血色素量(ヘモグロビン)は11.2に回復していたので無事1月19日に手術が行われることになりました。
その為、術前検査で、レントゲン写真撮影、呼吸機能の検査も受けました。


2009年12月25日
耳鼻科外来、麻酔科受診。

術前の説明。家族も同伴でということだったので、久しぶりにダンナと一緒の通院です。
ダンナ、しっかり通院経路を忘れておりました。大丈夫かいな・・・


2010年1月18日
入院。

2010年1月19日
手術。

2010年1月25日
退院。

2010年2月5日
術後検診。

ここらあたりの経緯はブログにもほぼリアルタイムで掲載しておりますが、いずれこちらにも掲載いたしますね。



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2010.1.29

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